想定外の出来事による絶望感

こんばんは、

心理療法カウンセラーの森口です。

自分が人生をどう生きていきたいか

どんな自分でありたいか

これからどうしていきたいか、など・・

自分の人生の予定や計画、

今年一年の予定や目標を立てる。

そういう方もいると思います。

自分で予定を立てている時は、

望んでいること、やり遂げたいことを考えます。

当たり前です。

ただ、

自分の望まないことや、

自分の力の及ばないことは

誰にでも起きる可能性があります。

まさかこんなことが起こるとは・・

何で自分だけがこんなことに・・

自分の力ではどうにもならないと感じたときの

無力感や絶望感はかなり辛さをともないます。

それは自分に起こることもあれば

家族や大切な誰かに起こることもあり、

その大きさも予測できないもの。

未来は誰にも分からず、

日頃自分にできることをやっていたとしても、

生涯平和に暮らせる保障はどこにもない。

なので、

自分の人生の予定表には、

想定外のことが起こる。という項目を

設けておくのも大切なのだと言います。

日頃、そんなことを少し意識するだけでも、

何かあった時に正しく絶望することができる可能性が高まるから。

じゃあ、正しく絶望するってどういうこと?

絶望感が大きすぎると立ち直る事がより困難になりますし、

絶望感という感情がないと、より良い人生にしていこうという

力が生まれません。

例えば、

パートナーを急に亡くされた方の中には、

ずっと絶望したまま、その気持ちが消化できず、

前向きな気持ちになれず、

その後の長い人生を辛いまま過ごされる方もいますし、

しばらく時間はかかっても、その後の人生を

より良いものにしていこうと前を向ける方もいます。

自分自身が余命を宣告される病気になった時、

絶望したまま亡くなる方もいれば、

残りの時間をより良いものにしようと、

前を向く方もいます。

一旦は大きく落ち込み、苦しい気持ちを経験し、

その後、

その絶望感を自分の力に出来るかどうか。

それが正しく絶望できるかどうか

ということのようです。

自分の夢を叶えるために留学しようとしていた人が、

出発の数日前に家族の病気がわかり、

余命宣告を受け、

留学をあきらめたという話を聴いたことがあります。

その時の当事者の気持ちは

同じ経験をした方でも違いがあるかもしれません。

自分だったらどんな気持ちが発生し、

どんな選択をするでしょう?

家族への気持ち、

自分の今後の人生に対する気持ち、

どんなことが頭に浮かび、

どんな感情が発生するのか・・

自分が病気になった側の立場だったら、

どんな選択をするか、

どんな気持ちになるか、

考えさせられました。

想定外のことが起きたとき、

何かを諦めなくてはいけなかったり、

失うものがあったりと、

喪失による深い悲しみも伴います。

グリーフケアも必要になる。

想定外の事の中にも、

些細なことからとても大きなことまであります。

大きな感情を消化していくのは

とても大変なことですが、

想定外のことは起こるもの。として、

自分の予定に入れておきたいと思います。

それが生きていくということなのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です