擦り込まれた考えを変えていく

こんにちは、

カウンセリングルームほほえみの森口です。

ご覧いただきありがとうございます。

自分の意識が昔とはずいぶん変わったなと

感じた出来事。

先日、東京銀座にあるブルガリのレストランに

お誘いいただく機会がありました。

食べきれないほどの品数のフルコースをごちそうになり、

とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。

お土産にいただいたチョコ♡

お料理もデザートも美味しかったのはもちろん、

スタッフの方々にもとても親切に丁寧に接客していただき、

しあわせ♡

と、素直に幸福感や感謝の気持ちが湧いたのでした。

このような出来事は、

子どものころから貧乏性だった私には驚きの現実の一つです。

以前の私なら断ったかもしれないし、

そもそも誘われることもなかったかも。

行ったとしても、

楽しさや感謝や嬉しさなど、今ほど感じられたかどうか疑問です。

小さいころから「お金ない」と言われて育ち、

学校にも、友達と遊ぶ時にも、

同じ服ばかりを着て行かなければいけないことが辛かった。

でも、今振り返ってみると、

決して裕福ではなかったかもしれないけれど、

親が言うほど貧乏だった訳ではない気もするのです。

親が心に抱えていたものが表現されていただけのことだったと思うのですが、

素直に「お金ない」が刷り込まれた私は、

大人になってもずっと貧乏性のまま生きていました。

お金に対してとってもシビアな自分が出来上がっていきました。

当たり前のように自然に。

子育てしている時も「お金ない」にとらわれ

「稼がなきゃ!」に縛られてました。

食べるものが無いという程困ったことはなかったにも関わらず、

不安と焦りがいつもあって、苦しい気持ちで過ごしていました。

自分の中に当たり前のように刷り込まれた考え方があって、

その考えにともなって感情は生まれるのですから

不安が生まれるのは当然なことでした。

脳と身体と心のつながりや、

意識、精神、心、感情もろもろのことを学ぶたびに

自分自身の意識が変化して、

それに伴い、

ずいぶん現実も感じ方も変化したなという実感があります。

これはお金に限らずいろいろな場面で感じることです。

自分の中に何が擦り込まれているかで

人生が決まっていくといっても過言ではない気がします。

擦り込まれているということは、

信じ込んでいる、思い込んでいる、

もっと言えば勘違いしている、と言ってもいいのかも。

その思い込みを前提に自分が行動しているのですから、

その前提に沿った現実が起こるのもまた自然なこと。

これから先、信じていくことは、

今の自分が、自由に選び直してもいいものだと思います。

そうやって自分の人生を自分で選んで創っていけたら、素敵。

考え方や捉え方が変われば、

感情も自然に変わっていきますから

当然苦しさも減る。

親の抱えていた問題、親の価値観、考え方、生き方、

身近にいた大人のそれら、

メディアなど外部からの情報など、

子どものころに自分の中に刷り込まれたことっていろいろです。

決してそれが悪いということではありません。

自分には合わなくて、生きづらさにつながっているものがあれば

選び直してもいいというだけのことです。

信念として持っていきたいものはそのまま大事に、

生きづらさに繋がっていると思うものは手放し、

取入れたいものを採用していけたらいいのかも。

ときどき自分の持っている考えを

見直してみるのもありかもしれません。

今の自分の考えに

絶対正しいという根拠があるのか?

自分を責めることが多いという方は

自分はダメだと思い込んでいることが多いです。

自分がダメだと決めている絶対的な根拠って何だろう?

「〇〇が出来ないから」という理由だとしたら、

「〇〇が出来ない人はダメ」と決めている理由は何だろう?

その理由って絶対的なのだろうか?

誰が決めたのだろうか?

「あなたはダメね!」と言われたから

自分はダメだと思っているとしたら、

その人の言ったことを信じ込んでしまっただけなのかもしれません。

その人の言うことは絶対に正しいのだろうか?

一つの見方でしかないのではなかろうか?

私自身が親から刷り込まれたもので生きていたように、

子育て中の私の価値観は、

子どもにも刷り込まれた可能性が大きい。

ということで、

今はそのころに無かった新しい価値観や、

いつでも自分で選び直せるということや、

親と違ってもいいのだということを

伝え続けたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です