こんにちは、
カウンセリングルームほほえみの森口です。
いつもありがとうございます。
生きる意味、自分の価値・・
それらを自分に問い、苦しさを感じているとしたら・・
死にたい気持ちになったり、
消えてしまいたくなったりしているとしたら・・
そして、その苦しさを何とかしたいと思っているとしたら、
自分は自分のために何が出来るだろう?
自分の価値といっても、
それをどう捉えているか?
どう定義付けているか?
そのあたりは人によって違うかもしれません。
ここで考えてみたいと思うのは以下の3つ。
① 命そのもの、自身の内面にあるものや感じるもの、自分の在り方など目に見えないもの。感覚的に体感する存在そのものの価値
② 自らの行動や行為など、目に見える行動に対して評価することで生まれる価値
③ ②の行動や行為の結果として得られたものに対する価値
主にはこの3つの要素から、
自分全体の価値、自分の人生に対する価値などを、
無意識に感じているのだと思います。
どれも、生きていくうえで、
自分の人生を豊かなものにするためにも、
大切で必要なものなのだと思います。
その中でも、まずは①が基盤であり、
一番大切な自分のベースであり、
前提となるものだと思います。
その前提にそって行動や行為が作られます。
この前提は、
無意識に今の自分に影響しています。
それが繰り返されています。
目に見えないものなので
自分でもきちんと自覚しづらく、
分かり難くもあると思います。
②の行動、行為とは、
仕事に行く、行かない。
自分が感じた気持ちを表現する、しない。
自分の意見を言う、言わない。
自分の夢を叶えるために努力する、しない。
勇気を出して挑戦する、しない。
人の気持ちや場の空気を察して動く、動かない。など、
見えやすく分かりやすいものです。
この行動、行為は、
「する」も「しない」も、自分が選んでいるということになります。
例えば、
「言えない。」「できない。」という表現がありますが、
これらも、自分が「言わない」を選んでいる。
「できない」ではなく、「やらない」を選んでいる。という自分の行動です。
自分で自由に選んで、どうするかを決めることが出来ます。
言えない、出来ない、という表現になるときは、
根底に何らかの恐れや不安、罪悪感がある場合が多いです。
①の前提によって変わってくる部分でもあり、
自分で選んでいる感覚が持ちづらくなるので、
自分の価値も低く感じてしまいがちです。
その場合は、
それらの感情とその元になっている事柄(暴力や過干渉などの傷ついた経験)と、
向き合う必要があるかもしれません。
③は②から結果的に得られるもので、
地位、名誉、お金、容姿、成績、肩書き、学歴、人との関係、身の回りの物、などなど・・
行動や行為の結果得たもの、持つことができたものなど、
分かりやすいものが多いです。
得られた瞬間は、
達成感、満足感、優越感などを感じることで、
自分の価値が上がったように感じたり、
価値を保てているように感じることもあるかもしれませんが、
①が弱いと、刹那的な満たされ感にしかならない場合が多く、
本当の意味で永続的に自分の価値を体感することは難しいです。
満たされた感覚を得られずに、
空虚な感覚や自分の価値を他者より低く感じてしまうような場合は、
①の存在そのものの価値を感じる力が弱く、前提が否定的な場合が多いです。
自分が嫌い、自身が持てない、生きる意味がわからないと感じている人も少なくありません。
①を感じる力が弱かったり、前提が否定的になる理由は、
子どもの頃の環境と傷ついた経験によるものの場合が多いです。
生まれつきそういう人というわけではなく、
自分自身がそういう人間だということではなく、
自分がダメだとか、悪いとか、そういうことではなく、
そういう状態になる経験をしたということ。
または、力を養うための必要な経験が出来なかったということ。
自分ではなく、環境によるものです。
誰が悪いとか、誰のせいとかではなく、
そういう環境が辛かっただろうし、
辛かったから価値を感じる力が養われずにいただけ。
なので、その状態は変えたければこれから変えることが可能です。
力は養おうとすれば養えるし、強くもなります。
①を感じる力が弱いと心が満たされた感覚になりづらいので、
その空虚な感覚を②で埋めようとします。
それも無意識に、無自覚で。
行動そのものは他者にも見えて分かりやすく評価されやすいし、
その行動によって得たこと、得る感情、
手にしたものも、わりと分かりやすいものが多いし、
「行動の部分を人間の価値として重要視するのが普通」みたいな価値観を、
知らぬ間に学んでいる人も多いと思います。
行動、行為というのは、
生きていく上でも、人生を豊かにするためにも、
とても大切な要素だけれど、
①を感じる力が無くては、前提そのものが違うので、
ベースが無い上に行動や行為を重ねても、
なかなか本当の意味では満たされず、
自分の価値を重んじられなかったりします。
行動とそれに伴う結果だけで何とかしようとしても、
満たされた感覚になれるのは一瞬だけで、
すぐにまた渇望することになってしまうのです。
①も②も両方必要で、
どちらかをどちらかで埋めることは出来ないということなのだと思います。
例えば、
「仕事で認められて昇進したり昇給したり、会社や上司から褒められたりする。」
それ自体はとても素晴らしいことですが、
仕事を頑張ろうとする動機が、
「自分が認められるため」の辛い頑張りだと、
満たされるというゴールがないです。
「認められたい」という欲求は誰もが持っているものです。
でも、その欲求の強さは人それぞれ。
認められたい欲求が社会や他者に強く向く場合は、
自分で自分の存在を無条件に認める力が弱い可能性もあるのです。
無条件に自分の存在を認める力が弱いということは、
存在そのものの価値を低く見積もってしまっている可能性があり、
その分を行動で埋めようとしているのかもしれないです。
他者からの評価がないと自分に価値が無いような気がして不安になるし、
自分の価値が保てずに苦しくなったりします。
なので、
社会や他者に認められたその瞬間は、
満たされた感覚、満足感、達成感、優越感などが得られるかもしれませんが、
次の瞬間にはまた、その満たされた感覚を渇望することになります。
再度、認められるための辛い頑張りが始まります。
自分で自分の存在を無条件に認める力が養われないと、ゴールがありません。
ただ、
この流れが自分の内面で起きていることに気付いていない人も多いです。
無意識で無自覚の場合が多いので、
何だか満たされない気がするという場合は、
自分の内面と向き合う時間が持てると良いかもしれません。
頑張ろうとする動機が、
「社会や他者に認められるためのもの」なのか、
「自分がやりたいことを頑張りたいから」というものなのか、
同じ頑張るでも、その差は大きいです。
「頑張る、努力する」という言葉は同じでも、
その動機は人によって違い、
その部分は目に見えないので自分にしかわかりません。
同じように努力している人でも、
傍から見たら成功者に見えていても、
人生が楽しく、喜びが多く、豊かに感じる人と、
むなしさやしんどさが多いと感じている人と、いろいろです。
もし、刹那的な満たされ感ではなく、
自分の中に蓄積されていく本当の意味での満たされ感を得たいと願うならば、
①に注目していくことが必要です。
存在そのものの重要感、
自分自身であることに価値があるのだということ、
ここに居ていいのだということ、
価値ある大切な唯一の存在なのだということ、
自分の存在を無条件で認められるようになること、
これらを体感的に感じられるようになるために
今の自分が自分にできることを
積み重ねていくことがとても大切になります。
①の力が弱まっている理由を知り、
その理由となっている傷を癒し、
存在そのものの価値の重要さを、
体感できる力を養うためのトレーニングに、
エネルギーを使っていけたなら、
それが、本当の意味で満たされることにつながります。
それは、自分を好きになること、
自分に自身を持つこと、
自己肯定感が高まることなど、
それら全てに繋がっていきます。
無価値感や劣等感、虚無感、空虚感などの
しんどい感覚になることも減っていくと思います。
自分の内面と向き合うことに労力を使うことは、
自分自身を大切に扱うこと。なのだと思います。
自分で自分を大切に扱わないと、
存在そのものに価値を感じることはできません。
粗末に扱っていると価値を感じられなくなる。
価値を感じられなくなると粗末に扱うようになる。と、
ぐるぐる繰り返してどんどん価値を感じられなくなる。
どんどん自分が苦しくなる。
生きていることに喜びを感じることからもどんどん離れてしまう。
生きていることが喜びなのだ。と、
どうやって気づいて体感していこうか?
自分なりの進み方を考え、選び、実行していけたらいいなと思います。
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