いじめについて

こんばんは、

訪問心理療法士の森口瑞恵です。

 

 

いじめは人が人を傷つける暴力のひとつです。

暴力を受けた人は、心が傷つき、自尊心が低下し、

自己否定や自信喪失なども起こり、

暴力のある環境から抜け出した後も、

後遺症のように辛さがついて回ります。

トラウマです。

自尊心の回復や自己否定から本当の意味で抜け出すには

手当てが必要な場合が多いです。

 

いじめという出来事において、

いじめられた側に責任はありません。

いじめた側に責任があります。

どのような理由があれ、

いじめという暴力を選んでしまった側の責任です。

 

いじめられた側に理由となるきっかけがあったとしても、

ムカつくことや気に入らないことがあったとしても、

それは話し合い等で解決できたかもしれない。

暴力以外の方法、選択肢がある中で、

暴力という人を傷つける行為を選んでしまった責任。

 

いじめられた経験を持つ人は、

いじめられたことに関して自分に責任はなかった。

ということを知り、

残っている傷をきちんと手当てしてあげよう。 

もし、いじめに繋がる非があったとしたら、

それはそれで別の事として責任を考えていこう。 

 

 

そして、いじめた側の人、

いじめることを選んでしまった側もまた、

傷つき体験があることが少なくありません。

暴力の被害者である場合もあります。

 

自分の心の中に癒えない傷がたくさんあると、

心に余裕がありませんし、

癒えない悲しみや悔しさ、みじめさ、屈辱などの傷は

大きな怒りを生みます。

 

その怒りは外へ向かう場合もあるし、自分に向く場合もあります。

外に怒りが向くと、他人への暴力や非行という現れ方をすることがあります。

傷ついた経験が全くないという人はいないと思いますが、

今も思い出すと苦しくなることがいくつもあるとか、

思い出したくないからとあえて蓋をしている感情がある人は、

大きな傷が心の中に存在しているということです。

 

自分の中にある傷に気づいて、癒すことができたら、

どんなにいいだろうと思います。

そうしたら、他人も自分も攻撃せずにすむかもしれない。

 

暴力の加害者は、同時に被害者であることや

大きな傷を持つ人も少なくないのです。

でも、だからといって加害者になっていいということではないし、

加害者になってしまったら、自分で責任を持つしかありません。

 

 

例えば、

家の中に安心と安全が無い子どもの場合、

その辛さやストレスが消化できず、

徐々に心がいっぱいいっぱいなり、

その苦しみをどうしたらいいかわからず、

自分ではどうにもできず、

自分の心のバランスを取るために、

イライラややりきれなさを発散する方法として、

誰かに怒りを向けて攻撃してしまうことがあります。

 

 

辛い気持ちの行き場がなくて苦しんでいることに、

近くにいる大人が気づいて話を聴くことができたら、

その子は暴力を使わずに済むかもしれない。

新たに暴力による傷つき体験をする子どもを

減らすこともできるかもしれない。

 

 

子どもの心に気づき、話を聞くためには、

大人に心のゆとりがないと難しい。

子どもと関わる大人ひとりひとりが

心にゆとりを持つためにどうするかを

真剣に考えることがすごく大事なのだと思います。

 

 

いじめられた経験が過ぎたことにならず

苦しい思いを抱えている人、

また、いじめてしまった後悔や罪悪感、

自責の念に苦しんでいる人も、

癒えない傷による怒りが大きい人も、

自分の心の手当てについて、

考えてもらえたらと思います。

 

  

  

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